
暮れる日の静かな訪れ
"The evening of autumn"
Alice Arisugawa fan-fiction.
written by Kai shiinoya 00' Oct.
手元を照らしていた光と、それが作り出す影とのコントラストがいやに鮮やかに目について、私はふと、光の元である太陽に目を向けた。
オレンジ色の太陽が、山際を照らしている。
長くのびた木の影が、縁側に座った私の足下までのびてきていた。
大学時代からの友人───火村の住む北白川の下宿先。
この場所でこうやって夕焼けを見るのも、何度目になるのか。
そう思えば、少しは夕焼けも感慨深く思える。
茶の間の時計が1回だけ鳴った。
その前に、4回鳴ったのは覚えている。あれから30分もたったのか。
それにしても───日暮れがずいぶんとはやくなったものだ。
「…終わったのか?」
隣に座っていた火村が言った。
私は、ずっと同じ体勢だったために堅くなった肩をほぐすようにのびをして答えた。
「いや。まだや」
「帰るまでには終わらせろよ」
素っ気なく言う火村に、私はため息とともに聞く。
「手伝おう、という気は小指の先ほども起きんか?」
「俺は、俺の持ち分で手一杯だ」
私は肩をすくめて、また作業に戻った。
作業、といっても大したことではない。
火村と私が、縁側に座って何をしていたかというと───
「終わりました?」
茶の間の方から婆ちゃんの声。
「明日、婆ちゃん達が食えるくらいは」
私が答えると、婆ちゃんは、私と火村の間においてあった小さなボールの中を見ながら、言った。
「そうやなぁ。あとは有栖川さんのぶんやね。火村さん、手伝ってお上げなさいよ」
火村は眉をよせて、婆ちゃんに聞こえないよう、外を向いて小さく舌打ちをした。
私は笑ってやった。
「明日の朝は、みんなで栗ご飯やね」
婆ちゃんが言った。
そう。
私たちは二人で───栗を剥いていたのだ。
+++
私が北白川の下宿を訪ねたのは、先日婆ちゃんからたくさんの土産物をもらったそのお礼のためだった。
数日間の取材旅行から帰ると、一人身には十分なくらいのたくさんの秋の味覚が段ボールでマンションに届いていた。入っていた手紙を見たところ、「秋の味覚ツアー」とやらに参加してきたらしい。そこで私を頭数にいれてくれていたところに、私は頭を下げざるを得ない。
様々な種の茸。梨やらリンゴやらの果物。枝についたままの枝豆まで入っていた。
枝豆といえば、夏にぐいとやるビールのつまみというイメージが大きいが、実際収穫時期は9月の終わりから10月の初め頃。残暑を抜けて肌寒くなる初秋にかけてだ。枝についたままの状態で段ボールに入っていたそれを、私は早速採って、塩ゆでにして食ったのだが、これがめちゃくちゃうまかった。思わず枝豆を使った料理のレシピをネットから検索してしまったほどだ。
その秋の味覚群には遠く及ばない私の取材旅行の土産を持って北白川の下宿を訪ねると、珍しく、婆ちゃんと火村の二人がそろっていて、向かい合うように茶の間に座っていた。
二人の間には、ごろごろと大きな栗が積まれている。
小さなボールには、堅い皮を脱いだ数個の栗。
火村と婆ちゃんは、栗の皮むきをしていたのだ。
「お隣さんからいっぱいお裾分けもろうたから、栗ご飯でも作ろうか思うて。暇そうな火村さんに手伝うてもろうてたんよ」
婆ちゃん曰く「暇な」助教授───本当にそうかは知りようがないし、火村としても肯定も否定もしづらいことだっただろうが───は、肩が凝ったように首を傾げていた。
渋皮に苦闘している風の火村に、
「うまいモノ食うためには、これだけの労力が必要なんや。いい経験したな」
「これを最初に食おうと考えた偉人に敬意を評するよ」
大げさな言葉に私は笑ってしまった。
どんなこつがあるのか、婆ちゃんは力のある火村より遥かに手際よく皮をむいていく。
「いいですねぇ。明日は栗ご飯ですか? 失敗したな。明日くればよかった」
そんなことを言った私を、火村はあきれたような目で見て、
「不精者」
と一蹴してくれた。
婆ちゃんは笑って、
「せやったら、この栗持ってったらよろしいがな。栗ご飯の作り方ぐらい、いつでも教えますよって」
この申し出は私としてはかなりうれしくありがたかった。
だが、先日届いた「秋の味覚ボックス」のことを思い出すと、それよりも申し訳なさが先に立つ。
「でも、この間もたくさんもらったばっかりですから」
渋皮を取りながら、婆ちゃんはうなずいた。
「こんなにいっぱいあったかて、火村さんと二人じゃ到底食べきれんし。持ってってええよ」
「いいんですか?」
「作りやすいよう、剥いとこか?」
婆ちゃんの気遣いに感動していると、火村が横からボールをつきだして言った。
「自分の食うものぐらい自分で剥いても、なんの罰はあたらねぇぜ?」
そんなこと。
「君に言われんでもやるわ。婆ちゃん、代わり、俺がやりますよ」
そうして私は、婆ちゃんの持っていた包丁を受け取って、栗の皮むきの手伝いを始めたのである。
+++
───と、手元が狂って、私の手からころりと栗がこぼれ落ちた。
「…っと」
縁側を転がって地に落ちそうになるすんでのところで、つかむ。
我ながら随分と反射神経がいいじゃないか、と自画自賛に思ったところで、
「…あぶねぇな、おい」
地から響くような声が聞こえた。
拾うほうに意識がいって、もう一方の手への配慮が足らなかったようだ。栗剥き包丁が火村の手元10cm前方を横切っていったらしい。
最悪の事態を想像してぞっとする。
「栗一個と俺の手を秤にかけんなよ」
これにはひれ伏して謝るしかない。
「すまん、悪気はこれっぽっちもなかった」
「あってたまるか」
火村は長い息をついて───よっぽどヒヤリとしたらしい───、新しい栗を手に取りながら言った。
「ぼーっとしてるからだ。せめて刃物持ってるときぐらいは、いらん妄想の世界に入るんじゃねぇ」
人の創作活動を妄想というか、こいつは。
「そういうんやなくてな」
「何だ」
「日暮れがずいぶん早うなったなぁ、と思うてな」
私がそう言うと、火村はやっとあたりがオレンジ色になっているのに気付いたように顔を上げ、太陽に目をやった。
まぶしそうに目を細める。
「ああ───そうだな」
ついで、時計に目をやる。
「まだ5時にもなってないのか」
「こういうのに気付くと、秋やなって、思うやろ?」
火村は小さく笑った。
「四季を感じるのにカレンダーはいらない───って? 確かにな。…そうか、もうそんな季節か」
「…今初めて気付いたような台詞やな」
火村は疲れたように息をついた。
「そうかもな」
聞けば、ここ数週間あっちこっちに出張続きで───フィールドワークもいくつかからんでいるらしいが───、今日やっと休みが取れたのだという。
「なるほどな。本当のところは、今日やっと「暇になった」助教授やったんやな」
「いつも手伝いなんかできないからなぁ」
やはり、火村としては断りづらかったのだ。相変わらず婆ちゃんには弱い。
火村は剥き終わった栗を小さなボールに投げて、新しい栗を手に取った。はじめの頃よりはかなり手際がよくなったように見える。
「お前は取材旅行とか言ってたか?」
「ああ。3日ほど北上してた」
「実のある「取材」であったことを期待してるよ」
馬鹿にされてるとしか思えない。
気を取り直して、私も新しい栗を手に取った。
「向こうにいた時も「秋やなぁ」とか思うてたが、こっちもようやく「秋」に追いついて来た感じやな」
「たとえば?」
こちらを見もせずに火村が言った。
「たとえば───そうやな。たとえば、風呂」
火村は栗を剥く手元をにらんだまま、眉を寄せた。
「風呂…?」
「日中は半袖でも過ごせるくらいなんやが、湯船につかったときな、湯の熱さに体がじんとする。これが気持ちよう感じた。夏じゃいくら風呂好きでもたまらんもんがあるからな。それが気持ちええと思ったときに、ああ、もう秋なんやな、と」
「…なんかこう、情緒っつーもんがいまいち感じられねぇな」
「そうか?」
たとえば、行き過ぎる人の姿。
たとえば、低い太陽が照らす木の葉。長くのびた私の影。───太陽。
秋は目に映る色が変わる。
気付くのはそんな些細な変化なのだという話だ。
まぁ、風呂なんかの話が出たのは、
「秋になったら、山の温泉に行こうて、片桐さんとかとも話してたんや。湯が紅葉に染まった露天風呂で十分に秋を満喫して、次作にとりかかろう、てな」
火村はあきれたように肩をそびやかした。
「取材旅行っていうのは温泉か? いい身分だな。こっちは野暮用が続いて秋を感じる暇もなかったっつーのに」
おやおや。
「罰当たりなこと言うてるって、気づいとるか?」
そう言うと、火村は「何が」と顔を上げた。
「ほんまに、頭が疲れとるんやな。こうしてほれ、お隣さんと婆ちゃんが秋を運んできてくれとるやないか。これでも感じなかったって?『暇な』火村先生」
私と火村の間に山と積まれている栗。
それを指さすと、火村はわずかに目をみはり、次いで苦笑して、あぐらをかいていた膝に手をつき、栗に向かって頭を下げた。
「心に染みております」
笑ってしまった。
「心に染みたところで、俺の分手伝うてくれ。ほんまに、こんなことなら買っておくんやったな」
「なにを」
「知らんか? ハサミみたいな形しとる、栗を渋皮ごと剥く道具があるんや。名前を「栗むきくん」という」
「まんまじゃねーか」
「名前ほどに、案外便利らしくてな」
火村は一息とばかりに手を打って手に付いた渋皮を払い、胸ポケットから煙草を取り出した。
かちりとライターをつける。夕焼けの色に混じって炎の揺らめきが見えるように感じるのは、あたりが暗くなっていってる証拠だ。
本当に、日暮れの早いこと。
煙草に火をつけ、火村はそれをゆっくりとふかしはじめた。
「手伝うてくれゆうとるのに、まったく冷たい奴やな」
「秋を十分に満喫させてやろうという、心優しい友人の配慮だ」
「お前に言われとうないな、鈍感男。俺からこそ秋をくれてやるから、さっさと手伝え」
ノルマの半分の栗をごろごろと火村の方に転がしてやると、火村はくつくつと笑いながら、くわえ煙草でまた包丁を手に取った。
紫煙がゆらとたちのぼり、私と火村の影の間に、同じオレンジ色の影を落とす。
静かに秋の一日が暮れようとしていた。