雄弁な空虚 "Eloquent emptiness"

Alice Arisugawa fan-fiction.
written by Kai shiinoya 00'Jul-01'Jun.
 昼食というには少し遅い時間のそば屋の前だった。
 
 捜査に一応の句切りを見た後、私と火村は大阪府警の森下に連れられて昼食に出ることになった。
 森下が一緒なのは、「世話になっとんのや、森下。ご一緒せぇ」というありがたい船曳警部のお言葉のおかげだ。鮫山警部補も一緒だったのだが、二人は「これから被害者の実家に行ってみます」とすぐの新幹線で信州の方に行ってしまった。
 遅い昼食がそばになったのは今日が朝から天気がよかったから、ということもあったが、信州と来れば、信州そば。まぁ…単純にそんなような流れだった。
 有り難い誘いを受けて近くのそば屋まで来て、目に入ったのがでかい竹笹。
 なんだあれは、と私が思ったところで、
「そうか、もうすぐ七夕ですね」
 森下が言った。
「ほら、店の中にも一杯ぶら下がっていますよ、短冊」
 指を指す方向には、竹笹に鈴なりの短冊。 笹の葉が見えないほどの凄い量だ。
「年に一度の逢瀬を狙って、ここぞとばかりにふざけた願をかけまくる。織姫も彦星も、さぞや処理に困ってることだろうな」
 火村の不機嫌そうな声が背後から聞こえた。どんな面をして言っているのかとかえりみると、火村はしかめ面で煙草を噛んでいた。
 その理由は検討がついたが、一応聞いてみる。
「なに辛気くさい顔しとるんや」
「腹が減ってるんだ」
 案の定の答えが返ってきた。
 聞けば、英都大の若き助教授は、昨日の夕方から飯も喰わずに研究室にこもりきりだったので、朝に警部に呼び出されて今の今まで腹に入ってくるのは空気だけという状態だったのだという。
「もうちょっとやから、我慢せぇ」
 火村は返事もするのも億劫そうに髪をかき上げた。
 竹林など近くには見ることはないので、わざわざとりよせたものなのだろう。笹の葉ののれんをくぐって店内に入ると、笹の青臭い香りが鼻孔をつく。
 だが、落ち着く香りだ。懐かしさすら呼び起こす。
 ウェイティング席には5,6人の客がいた。テーブルを覗き込んで何かやっている。
「3名様ですか?」
 初老の婦人に声をかけられた。
「空いてますから、どうぞ」
 ウェイティング席の奴らは客じゃないのかと思っていたら、婦人が察したらしく、
「そちらにおられるんはお食事が終わられたお客様やから、大丈夫ですよ」
 何かをしている、と思ったら、なるほど、短冊に願い事を書いているのだ。
「お客様もよろしければ、書いてってくださいな」
 人の良さそうな笑顔を残して、婦人はお茶を入れに戻っていった。
 懐かしさにかられたのか、興味深そうに森下が言った。
「いいですね。僕も書こうかな。お二人もいかがです?」
 そう言われれば、私もたまには、という気分になる。
「悩みますね。なんて書くか」
「有栖川さんなら、やっぱり『ベストセラー』じゃないですか?」
「そういう森下さんは、警視庁総監ですか?」
「そんな大袈裟な」
 森下は笑った。
「一線にいるのが僕の希望です。頼れられる刑事にはなりたいですけどね」
「じゃあ、『頼りにされる刑事さんになれますように』ですか」
「まるで小学生の願い事のようですね」
 人の願い事など、えてしてささやかなものだ。
 そしてまた、書くのはタダだ、どうせなら大きいことを書いてやろうという気分もわかる。実際ぶら下がっている短冊に書かれているモノも、そんな願い事も多いようだった。
 火村だったらどうなのだろう、と振り返った私は、
「───とりあえず、飯喰いながら考えときますか。腹が減って死にそうな顔をしてる奴がここにいますからね」
 そう言ってやると、黙りこくったままだった火村がやっと声を出した。
「そうしてくれ」
 森下が小さく笑いながら「すみません、先生」と言った。
 
 昼食時からずれていたおかげで、私達はすぐに食事にありつけることが出来た。
 客の姿は私たち以外にない。のんびりとしたひるさがりだ。
「でも、変な話ですよね、短冊に願い事をかいて飾るって言うのも」
 とろろそばをずるずるとすすりながら、森下が言った。
「昔から不思議だったんですよね。七夕って言ったらあれじゃないですか。織姫と彦星の年に一度の…ってやつ。それに対して願い事を書くって、なんなんだろうなぁって」
 誰もが持つ疑問だろう。私もそうだ。
 よしんば織姫と彦星が神だったとしても、先にも火村が言ったように、膨大な願い事を急に押しつけられたらたまったものではあるまい。ましてや、恋人にやっと会える年に一度の大切な日に。うれしくもなんともない話だ。
 だが、残念ながら私には疑問を解消させるに足る知識を持っていなかった。
 うーんと首をひねる私と森下に、そうそうに食事を終えた火村が、一つ離れた席で───感心なことに煙草を吸うために離れたのだ───煙草に火をつけながら言った。
「───起源が伝承になった経緯は忘れましたが、竹──笹──というのは古来から神の宿る場所、「神迎え」の場所とされているそうですよ」
「───神やて?」
 おやおや。
「君が「神」を語るのか?」
 火村は視線だけをこちらに向けて言った。
「お前にはこれが神学にでも聞こえるのか? これは民族学の分野だ。日本全国竹笹飾ってるとおもったら大間違いだからな」
 さいで。
 腹が満たされた助教授の口に叶う奴などいない。
 肩をすくめて、私はおとなしく食事に専念することにした。
「もちろん、神事に竹を立てる習慣は日本じゃよく見られることなんですが、七夕は突出した感がありますね」
「ははぁ。それでは「神が宿る場所」だから、願い事を書いてそこに置いておくようになった、ということですか」
「根底にはそれもあるかもしれません。昔は「布」をさげていたそうです」
「布? 布ですか」
 意外そうに森下が首を傾げた。
 確かに。五色の短冊とは聞いたことがあるが、それでは五色の布というのがあったのか。
 火村は煙草の煙を目で追いながら言った。
「織姫は、その名の通り機織り姫のことです。「織姫」に「織布」を捧げて、織物とか縫い物とか上手になりますように、と願をかけたんでしょうね。いつしかその願いを布に文字で記すようになった」
 それが現在の短冊につながる───というわけか。
「へぇ。織姫って神的な地位にあるんですか」
「どうでしょうか。確かに、織姫の星───こと座ベガが北極星とされていた時期もありますから、そう見られる部分もあるのかも知れません。ですが日本は、およそ「神」に関しては節操がない部分がありますから。饅頭にも神がいるくらいですからね」
 本当の話だから笑える。
「日本では巫女が7月7日に水辺で棚を作り機を織って神を迎えたという棚機津女信仰があります。降りた神に祈りを捧げ、その後水辺で禊ぎをすると、厄災が全て流れていってしまうという話です。7日の夕げにやっていたから、「七」「夕」をタナバタ─棚機─と読むようになった。現在の「七夕」の由来はそうであったとしても、大陸からの伝承、織姫・彦星の話はすでに先にあったものですから、実際には象徴的なモノなのかも知れません。───これ以上は聞くなよ?」
 私の視線を感じたのか、火村は苦笑交じりに言った。
「結局織姫と彦星とはなんなのかが分からんのやないか」
 どうせなら織姫・彦星の起源を語って欲しい位だ。
 火村は肩をすくめた。
「民俗学は「伝承」との戦いだ。七夕の伝承は山とある。俺には専門外だ、いちいち調べてられるか。だいたいこの話を調べてみたのだって、子供の頃に、ほんとに織姫星と彦星が近づくことなんてあるのか、なんて素朴な疑問を持ったときの派生にすぎねぇよ」
 これは私も知っている。星間距離は15光年だ。
 遠距離恋愛にもほどがあるというものだ。
「恋人たちの浪漫だ。これ以上、天上のラブストーリーに喧嘩ふっかけることはない。いちいち理由をつけるなんて、それこそ野暮というものだろ」
 そこまで言って、火村は話はこれでおしまいとばかりに煙草を灰皿に押しつけた。
 森下が箸をもったまま腕を組んだ。
「短冊に願い事を書く、という理由はなんとなく分かりましたけれど…結局織姫も彦星もひっくるめて七夕の願い事っていうのは曖昧なんですねぇ」
 釈然としない風の森下に、私は山菜そばの底に沈んでいた山菜をすくう箸を止めて、「それじゃあ」と声をかけた。
「七夕に願い事を書く。それの答えにこういう話はどうですか」
 七日の日、織女達は5色の布を織る。
 ───それは、二人の恋人達が星間を渡るための橋なのだ。
 二人に希望を込めて織られる布。
 二人が無事に出会えるように、幸せであるように、織女達の強い願いの力が布に織り込まれる。その手助けこそ、七日に捧げられる私たちの願い事。『願う』その力なのだと。
 天上の恋人達が無事に出会えるように、私たちは願う力を捧げる。
「なるほど。そう考えれば、ロマンチックですね」
 感心したよう頷く森下の後ろで火村が苦笑している。
 どうせ、七夕に対する知識も記憶力はないのに想像力だけはたくましいな、などとでも思っているのだろう。放っておけばいい。
 
 森下が清算をしている間、私と火村は笹に鈴なりの短冊をながめていた。
 七夕の短冊に願い事など、本当に叶うなどと思ってはいないだろうに、なかなかに切実な願いが書いてあるものもある。もちろん、どうみてもウケを狙ったものにしか見えないものもあったが。
 時間も時間で、店には私達の他には数人しか残っていなかったので、私は気兼ねなくウェイティング席に陣取って、短冊とペンをとった。
「書くのか?」
 火村が言った。
「書くのはただやしな。お前も書いてみたらどうや?」
 私の言葉に後押ししてくれるように、
「気軽にどうぞ」
 レジの当たりから婦人の声が聞こえた。
 火村は息をつきながらウェイティング席の端に座って足を組み、短冊の一つを手にとった。
「この短冊、7日過ぎたらどうしてるんですか?」
 森下がレジで婦人に話しかけている。
 私は頭上の短冊を見上げた。
 確かに、どれだけの暇人が書いたかわからない、沢山の短冊がぶら下がった竹笹だ。処置にも困るだろうに。
 婦人は穏やかに微笑した。
「如何に七夕の短冊、お遊び的なモンが強いゆうても、人の心がのってるコトには変わりありませんから。七夕ゆうたら水に流すゆうんがほんとかもしれへんけど、さすがに出来ませんからね。近くのお寺さんに頼んで、焚いてもろうてるんです。願い事を叶える手助けがちょっとでもでけたらええやないかなぁ思いまして」
 語る婦人の声におしつけがましいところは一つとしてなく、心遣いが嬉しく思えた。 
 そう思ったのは森下も一緒だったようだ。にこりと笑う。
「じゃあ、御利益がありますよね。───有栖川さん、なんて書きました?」
 私はぺらりと短冊を掲げて見せた。
 森下はそれを見て、予想どおりとばかりに笑った。
 私が何を書いたか、は言わないでおこう。
 私の願い事などささやかなものだ。
 立ち上がり、空いてる場所を探して短冊を笹にくくりつける。
「あれ。火村先生はもう書かれたんですか?」
 火村は返事のかわりにひらりと両手をあげた。
 先ほどまで持っていた短冊がその手にない。いつの間に笹に結んだのだろうか。
 いやそもそも…書いたのか?
 立ち上がりながら、火村が言う。
「そろそろ行きますか?」
「あ、待ってください。僕も書いていきますから」
 慌てて森下が短冊を取った。
 火村は肩をすくめて、私を見た。
「お前はもういいのか?」
「ひとつで十分や」
「外に出てる。───ごちそうさんでした」
 最後の一言をレジの婦人へと投げかけ、煙草をくわえながら、外に出てしまった。
 願い事を書き終えた森下が、
「火村先生は、なんて書いたんでしょうね」
 こそりと、私に耳打ちしてきた。
「さて、ね」
 そう答えたものの、私も気になっていた。
 火村は書いたのだろうか。書いたところも結ぶところも見てはいなかったことが悔しく思えた。七夕に願い事なんて、と揶揄するような表情を見せながら、火村はかつて天上の恋人達の起源をたどった。そこに火村は、何を、見たのだろう。
 森下が短冊を結んでいる間、私は火村が短冊を結んでいたかもしれないあたりをちらりと盗み見た。
 目についた一つの短冊に、 どきり、と、心臓が騒いだ。
 それが、本当に火村が結んだものかどうかなど、分からない。
 他の誰かが結んだモノかも知れない。あるいは、単なる飾りであったかも知れない。
 ───だれも知らない。
 そう打ち消してみても、それはぽっかりと浮かび上がって見えた。
 
 そこには、何も書かれていない短冊が一つ、揺れていた。
 

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