
不完全な言葉
"the imperfect word"
Alice Arisugawa fan-fiction.
written by Kai shiinoya 00'Jan.
「なんだ、こりゃ」
手に持った数枚の紙片を注視していた火村が、ややして眉を寄せてそう吐き捨てた。
「…わかった。それ以上は言うてくれるな」
短くも容赦のない火村の言葉に、私は机に突っ伏したままうめき声を上げた。
+++
火村が手に持ってるのは、私の書いたプロットだ。
大まかな話の流れが無作為、無造作に書いてある。
火村はそこから顔を上げ、心底うんざりしたように肩を落とした。
「俺は出版界にはそれほど明るくはない。明るくはないが、作家として成り立っていくある程度のレベルというのは知ってるつもりだ。頼むぜ、アリス。冗談だと言ってくれ。こんなまずい話を書く奴が「作家」などと言って、あまつさえそれが俺の知り合いなのかと思うと、涙が出るぜ」
ひどい言われようだ。
だが言い返す気力もない。
私は胃に痛みすら覚えつつ、突っ伏した状態で視線を火村に向けた。
火村は持っていた私のプロットから手を離した。それらはひらひらとそのまま地に落ちる。
丸めてごみ箱に入れてやるその行為すらも惜しいとでも言うのか。
───…考えがひねくれすぎか。
「アリス。あんなくそ話を作品だなんて言うんじゃねぇぞ。言ったら、さっぱりと縁切ってやる」
「…言わんて。頼むから、責めてくれるな」
思考が腐ったところからひねり出した話をくそ話と評されて、私は落ち込みこそしなかったが、やっぱりそうなのだ、と自覚せざるを得なかった。
スランプなのだ。
締切が近いというのに、話の一本もできあがらない。
私のプロットを火村に見せたのは、はっきりと自分に言い聞かせるため、と言ったほうがいい。ミステリーに興味がない火村にアドバイスなど期待はしていない。
しかし、これはまったくゆゆしき問題だ。
話を書くのが私の飯の種なのだ。書けないではすまされない。
まずい。
これは、まずすぎる。
机に突っ伏したまま唸っている私に、火村はちょっと息を付いて言った。
「締切はいつだ」
私はもごもごと口を動かす。
「…四日後」
「アリス。一日つぶせ。気分転換にどっか出掛けちまえ。ひがな一日家のなかに閉じこもってるから、こんなすっとぼけた話しか出てこねぇんだよ。一度頭からすっぱりと小説のことなんか追い出せ」
私は重い頭をもたげて顔だけで火村を見た。
「…火村。それはなんだ。励ましてくれとんのか?」
「当たり前だ。あんな恥さらしな話を出される位だったら、すっぱりと小説家やめるよう説得するのが親切ってもんだ」
私の話はそんなにもひどかったのか。
情けないを通り越して、可笑しくて笑ってしまう。
「俺が作家やなかったら、一体何になれるんやろな」
「ほぉ、ついに作家である自分に見切りをつけたのか」
と、そこまで容赦のないことを言って、火村はソファに体を投げ出すように座った。
嫌味かと思われるほどの流れるような動作で足を組む。
私は体を起こし、椅子を回して火村に向き直った。
「君に言われんでも、たまにな、考えるんや。あの時、小説を書くことをしなかったら、俺は何に向かっていっただろう、ってな」
17才の夏の夜。あの時小説を書くという行為をしなかったら。
小説を書くことを、自分を吐き出す媒介にしなかったら。
せずに、別の道を選んでいたら。
「こんなところで一人でいないでどこかで円満な家庭を築いてたりしたやろうか」
「ふぅん?」
「ちょっと郊外に小さいながらも家を建てて、サラリーマンの俺は朝もはよから通勤電車に揺られる。たまの休みはまだ小さな子供と一緒に遊んでる。や、電車乗って旅行きどってもええな。うーん、平和やなぁ。絵に描いたような幸せやな」
火村は大きく息を付いた。
「そこがそれ、思考力が病気なんだよ。小さくまとまりやがって。思考回路がじじいの領域だ」
「想像力が貧困やとでも言いたいか」
「てめぇそれでよく作家だなどと名乗れるな、くらいにはな」
それのほうがよっぽどひどいわ。
「作家でないお前、ね。闇の中すら空想の素材にして、夜が怖くない、なんて可愛くないことを言う人間が、そう簡単に創造、創作の世界から離れられるわけがねぇと思うがな」
「頭から小説のことを追い出せ、言うたのは君やぞ。つきあえ」
火村は立てた指を私に向けた。
「だったらな。想像なんだから、もっとでかいこと言ってみたらどうだ。一発財産なげうって温泉掘って一山当てたとか、ベガスで大博打うって一夜にして億万長者、トップ・カジノのオーナーになったとか」
なんだ、それは。
「なんか…詐欺師くさいなぁ」
「意外性を持たせてみただけだ。詐欺師でもなんでもいいじゃねぇか。作家じゃないお前であればいいんだろ? 病気の想像力のリハビリのつもりなら、日常からかけ離れていくくらいの気概を見せろよ」
私は天を仰いで頭をかく。
「イメージ湧かんなぁ。絶対詐欺師なんか似合わん。俺ってば馬鹿正直やし」
「否定しない」
「…褒め言葉として聞いとく。詐欺師っていうなら君のほうがぴったりやしな」
「それは聞き捨てならねぇな。この誠実を体現する俺のどこが?」
「俺は聞き捨てるぞ」
くだらない応酬に私はため息でもって終止符を打つ。
「結局な、分相応な想像しかできんのや。君の言うようなグローバルな生活しとってもええけど、そうなったら君、うちに来にくくなるやろ? やっぱり普通が一番やて」
ふと、火村が何かに驚いたように私を見た。
「なんや」
「…俺は、そこでもお前の友人なのか?」
私は眉をひそめる。
「なんや、普通の人間にゃ興味ないとでも言いたいか。案外薄情やな」
「そうじゃなくて…」
「君みたいなひねくれもんとトモダチになれる奴なんか、そうはいてへんぞ」
火村は白髪交じりの髪をちょっとかき上げて、ちらりと私を見た。
「───今の俺はそうかもしれんな。例えばお前がその普通のサラリーマンやってたとしたら、俺だって助教授なんかやってねぇよ。それより以前に、俺がお前とどこで接点を持つんだ。それでも、俺はお前の近くにいるのか?」
ああ、そうか。そういう場合もあり得るのか。
まったく、想像力が死んでいるな。スランプなのは間違いない。
私は小さく笑った。なんだか、おかしかった。
なんだ、変なところにこだわるじゃないか、火村。
「全然、思い浮かばなかったな」
火村が私をどこまでの存在と思ってるかは知らない。話をしたこともないし、聞くこともない。
けれど、有栖川有栖の日常には、火村英生という存在がかなりの割合で根付いている。
それは、お前が私にフィールドワークをしている自分を見せてくれているからだ。
その理由を知ろうとしている私がいる限り───いや、もしかしたらもう分かっているのかも知れない自分がいる限りは、きれい事と言われようと忘れられるものじゃないのだ。
「───そりゃあな。物好きって言うんだよ」
自分をおとしめる言葉を吐き捨てた火村に、私は笑ってやった。
それについて真面目に語ることは、おそらく彼は苦手だろうから。
「君、知らんな?「火村」という奴は結構強烈な好奇心を持たせてくれる奴やぞ。それを日常から抹消するのはもったいない」
「俺はどこまでも色物らしいな」
「ひねくれとるなぁ、君。そこで一言「嬉しい」とも言ってくれれば、俺の君に対する心証はだいぶ変わるんやけどな」
「なんで今更、お前の心証変える努力をしなけりゃいけないんだよ」
火村は私を睥睨して、いくらか苦笑交じりの笑みを唇に張り付けた。
ほんとに口の悪い奴だ。
だから私は言ってやる。
「君もたまには、正直になったほうがええぞ」
「俺はいつでも、この上なく正直に生きてる」
ぬけぬけと。
「なら、火村。正直に答えろよ?」
「ああ?」
「───お前はどこに戻る?」
私が戻るのは、小説を初めて書いたあの時だ。火村が戻る場所はどこだ。
おそらく、あの時だろう、と想像はつく。
人を殺す直前までいった彼の激情の発生。
言ってみろ。口に出して。───もう、言えるか? お前の激情の発生した時を。
「俺は───」
火村は少しだけ言いよどんだ。私は息を飲んで待つ。
「たぶん、どこになるかは、決まってる。だが───」
火村は言った。
「俺は戻りたいとは思わないぜ。俺は自分で道を進んだ。選んだのは俺だ。誰でもない。その現状には、それなりに価値を見いだしてるからな」
「…そうか」
私はちょっと息をついた。
───妥協点、だな。
そう思って、苦笑する。
彼の屈折した心を吐露させるには、まだまだ足らないらしい。
「やっぱりな。必要なんや。こういう事も」
「……」
火村は無言で煙草をくゆらす。
「───言葉はな。心を伝えるには邪魔なものでしかないと言う奴もいてる。嘘と虚飾にまみれた言葉のどこに真実が見いだせる、というんやな。じゃあ、態度だけで伝えられるものか? というと、それも無理なんや」
火村は、それで? というように煙草を上下させた。
「声を持って言葉を話し、手を持って文字を書き、頭を持って考える。それら最高の手段を持ちながら、最高にまで高めることが出来ない。それが人間なんや。でもな。たった一言でも、ただ一つの行動でも、真実伝えたいと思ってるならきっと届く。そう信じることは馬鹿なことではないと思うで。
話し、書き出す台詞、それが嘘でも見栄でも何でも。話す、顔、行動の中に見える真実。俺は、それが見たい───」
そこまで言って、私は、目を見開いた。
頭の中にいくつかの事柄がはじけて、それが組み合わさっていくような爽快感に呆然とする。
───そうだ。もう一つあり得たかも知れない自分を知ろうとすることは、分岐する道の直前に立つ自分を考えることだ。
なんてことだ。
「見たいし…───「見せたい」んや」
───思い出した。
火村が小さく笑い、唇から短くなった煙草を取って、灰皿におしつけた。
「…原点に戻ったじゃねぇか。───なぁ、先生?」
そう言って、立ち上がった。
火村は、先ほど放り投げた───というか、手を離しただけだが───私のプロットを拾い上げて、それを真ん中から惜しげもなく破いた。
一瞬の躊躇もない、潔ささえ感じるその様に、私は苦笑する。
「…人の物をよくもまぁ、そうあっさりと」
火村はにやりと笑った。
「必要か?」
「いや」
私はきっぱりと首を振る。
「いらんわ、もう」
───あの頃に戻る。よくも見栄もおごりも捨てて、ただ「書きたい」という想いだけを武器にしていた頃へ。
私は、まだ話を書ける。
事実スランプ脱出しているのかは分からない。でも、違う。たかだか数十分の間に、確かに「変化」は起きた。
起きているのだ。
───思い出した。
このことが、どれだけ私にとって大きな事か、お前に伝えるにはどうすればいいのだろう?
私は立ち上がった。
「コーヒー入れてくる。───飲むか?」
唐突な私の行動に、火村は面食らったように見返してきたが、にやりと笑って、
「美味けりゃな」
「失礼な奴やな。人がせっかく感謝の気持ちを持って入れてやろうと言うてるのに」
「感謝の気持ちが味に比例するんだったらなぁ」
しみじみと言うので、私はその頭を軽くたたいてやった。
+++
───夕方、火村が帰ってから、私は片桐に電話を入れた。
締切を少し延ばしてもらうためだ。正直な理由を告げると、片桐は苦笑していたが、ぎりぎりまで待つと言ってくれた。
お礼の言葉で電話を切り、私は椅子に座り込んで、息をついた。
ふと、ごみ箱の中に火村がまっぷたつにした私のプロットが入ってるのが目に入った。
私はしばらくそれを見つめたあと、奇妙な緊張感でもって手に取った。
綺麗なほど真ん中から破られているそれを、掲げる。
「誰でもない。───俺が、選ぶ。…そうやな」
呟いて、私は自分の手で、プロットを細切れに破り捨てた。
そうして、ワープロの電源を入れた。