長い夜を越えて "get over the long night."

Alice Arisugawa fan-fiction.
written by Kai Shiinoya. 99' Dec.
 奇妙な浮遊感。包まれる空気の優しさ。…懐かしさ。
 見慣れたドアがある。
 私の家ではない。どこでもない。けれど、知っている。
 そこにはきっと、笑顔で迎えてくれる人がいる。
 
 ───お帰りなさい。
 
  *
 
 けたたましいチャイムの音で、私は目が覚めた。
 がば、と起きあがり、辺りを見回す。 
「あ───…」
 いかん、眠ってしまっていたのか。
 時計を見るとまだ午後の3時だったが、天気のせいもあって随分と薄暗かった。
 根を詰めて、のりにのった筆を進めていた仕事が上がったのは確か1時頃。ちょっと横になった途端にこれだ。
 太陽の見えない窓の外を目に止めて、私は一人ごちた。
「なんか…」
 ───夢を見ていたような気がする。
 どんな夢だっただろう。
 あまりに儚くて───ああ、ほら、こうしてる間にも忘却の波にさらわれていく。必死になってそのつかみ取ろうとする手の中で、淡雪がとけて消えていくような、そんな感じだ。
「確か、誰かが…」
 
 ピンポーン。
 
「───扉があって…」
 
 ピンポーンピンポーン。
 
「………」
 
 ピンポーンピンポーンピンポーン。
 
 私はぼろぼろと夢の記憶が崩れていくのを感じた。
 脱力感と睡魔にしょぼつく目をこすって、私はソファから立ち上がる。
 うるさくて、思い出すモンも思いだせんわ。
 チャイムはひっきりなしに鳴っている。
「はいはいはい」
 誰にともなく答えて、私はぼけてる頭を抑えつつ玄関に向かった。
 
「はいよ。いらっしゃい、先生」
 ろくに確かめもせず、私はドアを開けつつそう言った。
 間違えるなんて微塵ほども疑ってなかった。こんなはた迷惑なチャイムの鳴らし方をするような奴が他にいるとも思えなかった。
 事実、友人はそこにいたし。
 滅茶苦茶不機嫌そうな顔で。
「おまえな。俺が来るって事分かっててやってないか? また寝てただろ」
 火村が顔と同じく不機嫌そうな声で言った。
「不可抗力や」
 私はあくびをしながら答えた。
 仕事あけで疲れていたので、たっぷりのお湯につかろう、と思い立ち、お風呂がわくまでの間ソファに横になっていただけなのだ。
 故意だなんてとんでもない。
「いつぞやの二の舞なんかごめんだぜ。…まったく」
 肩をすくめて、火村は玄関の中に入ってきた。手には何が入っているのか紙袋を一つ下げている。
 いつぞやの…というのは、私が風邪でぶっ倒れた時のことを言ってるのだろう。
「あんまり根に持ってくれるな。特別にとっておきのコーヒーをいれてやるから」
「妥協しよう。だがお前がいれるなんて折角のコーヒーが無駄だ。俺が煎れてやる」
 美味いコーヒーが飲めるんだったら、それくらいの口の悪さも、大したことではないような気がして、私は反論はしなかった。
 リビングに向かう火村の背中を目で追いかけつつ、私はお風呂場に足を向けた。
 湯気が風呂場にこもっていた。手を湯の中に突っ込んで確認する。入りごろだ。いいタイミングだったようだ。
 そうと分かれば、湯船が多大なる誘惑を持って私を手招きしている気分になる。
「火村───?」
 リビングに向かって声をかける。
「なんだ」
 火村の声はリビングを通り越してキッチンのほうから聞こえてきた。
 食器を合わせるような音がしている。
「すまん、風呂入らせてくれ。頭すっきりさせてくるから」
「構わねぇよ、こっちは勝手にやってるから。仕事あけだったんだろ」
「わかるか?」
「わからいでか。お前の顔見りゃ、あとはなんの説明もいらねぇな」
 そんなに疲れた顔をしていたのだろうか。
「仕事あけの先生のために、美味いコーヒーをいれてやるから、コーヒー豆の所在を言え」
 お前が飲みたいだけだろう、とはつっこまず、私はコーヒー豆の場所を教えてやり、服を脱いだ。
 
 冷えた体に暖かさが浸透する。手と足がじんじんする。これが気持ちいい。
 体を伸ばすとばきばきと数カ所背中が鳴った。…私の体は爺さんか。
 10何時間と画面に向かいっぱなしだったから、体も固まってしまっていた。目もかなり疲れている。自分で肩と首をもんで、足をのばす。縦に長い大きめのバスだが、完全に足をのばそうと頑張ると肩が湯から出てしまう。肩まで浸かるために私はずぶずぶと体をしずませて、足を向こう側の縁にかけた。
「あー、極楽極楽…」
 しみじみと呟いていると
「なに、じじいみたいな台詞吐いてんだよ」
 突然火村の声がした。
 驚く間も返事をする間もなく、扉が開いた。
 そこにのっそりと立っている友人に向かって私は呆れたように言った。
「…君に男の風呂場を覗く趣味があったとは知らんかったな」
「なに言ってんだ?」
 火村は嫌そうに眉を寄せた。
「忘れてたんだ。風呂はいってるならちょうどいい。土産」
 そう言って火村はポケットから何かを取り出し、ぽんと私に放り投げてよこした。
「うわっ?!」
 突然で受け取り損ねた私の目の前で、どぼんっと水しぶきがあがった。
「なんやねん、一体っ」
 盛大にお湯を顔に浴びて、私は叫んだ。
「季節もんだからな」
 火村が笑ってる。
 私は手で顔を拭い、ついで、目の前に浮かんでいる黄色の物体に目をとめた。
 ふわり、と漂ってくる。柑橘系の香り。
 私はぱちくりと目をしばたたかせる。
「…? 柚、か?」
「ちゃんと区別付いただけえらい。ちなみに南瓜もあったりする。ばあちゃんの力作」
 火村はタッパを右手に掲げて見せた。
「柚と南瓜って…」
 いくらなんでも、常識的な知識は私だって持っている。
 ただ単に、それが今日であることを自覚してなかっただけで。
「そうか…今日、冬至やったな」
 一年でもっとも昼が短い日。
 ゆず湯、なんて、久しぶりだ。
 ぷかぷかと湯船に浮いているゆずを眺めて、私はくすりと笑う。
「疲れた体にぴったりやな」
「神経痛にも効くんだそうだぜ、爺さん」
 私はお湯をひとすくい、火村に向かってかけてやった。
「お前は一言多いんや」
「ひどい仕打ちだな。疲れてるだろう友人を労りにわざわざ大阪くんだりやってきたっていうのに」
 からかいに来たの間違いだろう。
「お、疑ってるな? こんなものもあったりするんだがな」
 火村は紙袋から今度は一本の瓶をとりだして見せた。
 見覚えのある、ほのかに色づいたその液体に、私は目は輝かせてバスの縁に身を乗り出した。
「柚酒か?」
 懐かしい。
 火村の下宿の家主、時絵婆ちゃんが、よくこの時期に作っていた奴だ。
「婆ちゃんに頼まれたからとはいえ、こんな所までこのくそ重い瓶を持ってきてやったんだ。いい友人を持って、幸せだと思え」
 私は手を合わせて拝むように頭を下げた。
「婆ちゃん、感謝」
「俺に感謝しろよ。───ほれ、味見」
  火村はグラスまで持ってきてくれていた。
  私はそれをうやうやしく受け取った。
「前言撤回。優しい友人を持って、俺はほんとに幸せモンや」
「現金な奴」
 火村は笑いながらグラスに少しだけ柚酒を注いで、「あとは夜にな」と言ってリビングに戻っていた。
 甘い柚酒を舌の上で転がし、柚をいじりながらゆったりと湯に潜る。
 なんとまあ、贅沢な時間だろう。
 グラスからも湯船に浮かんだそれからも漂ってくる柚の香りは、気分をもすっきりとさせてくれた。
 ぷかぷかと湯船に浮かぶ柚を指ではじいて、私は小さく笑った。
「これ、あいつが買ってきたんかな」
 たった一個だけ、ポケットに入れてこられた柚。
 うちから持ってきたにしても、途中で買ってきたのにしても、どちらでも構わない。その心がありがたい。
 私は濡れた髪をかきあげ、香りをたどるように柚に顔を寄せた。疲れた体に、柚の香りと、それを運んできてくれた優しさが染みてくる。
 グラスを天井のライトにかざして、揺らす。ほんのり色づいたそれは、奇妙な懐かしさを思いださせてくれた。
 それは───あの夢にも似ていたかも知れない。
 本当の故郷とは別に、学生時代の想い出をそこにとどめてくれているあの場所。
 婆ちゃんとも随分と会ってない。この間会ったのはいつだったか。
 私は目を伏せて天井を仰ぐようにして湯の中に身を沈めた。
 ───明日、会いに行ってこようか。あの懐かしい場所へ。
 一年で最も長い夜を越えて。
 その懐かしい時間を共有する、友人と一緒に。
 きっと、婆ちゃんはこう言って迎えてくれる。
 
 ───お帰りなさい。

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