宴 -BACKSTAGE- ───主役、退場。─── "backstage pass for you"

Alice Arisugawa fan-fiction.
written by Kai shiinoya 1999-2003.
     * * *

 そろそろ出よう、となったのは二時をまわった頃だった。
 外に出ると、熱を持った体には心地いい夜気が私を出迎えてくれた。
 それは私のあとから店を出てきた火村も感じたようで、ちょっと空を仰いで、目を閉じ、息を付いている。───もしかしたら、眠いのかも知れない。
 小夜子は「ちょっと失礼」と言って、まだ店の中にいる。───まあ説明するまでもないだろう。
 煙草をくわえた火村を見て、私は気になっていたことを問うことにした。
「朝井さん、気づかなかったんかな」
「何が」
 答えた火村の声は眠そうだった。
「薔薇の数に、や」
「さぁ…どうかな」
 火村は、火のついてない煙草の先をくるりと回し、
「つっこむのも大人げない、と思っただけかも知れないだろ」
 すでに興味の失せた様子で答えた。
 そうなのかもしれない。
 私は、階段下の店の扉を見ながら思った。
 実際、小夜子は薔薇の本数に関しては何も言わなかった。
 薔薇を年の数ほど、と言っていたの他ならぬ小夜子自身だから、一本足らないことに、気づかなかったわけがないだろう。あえて、黙っていてくれていたのかもしれない。
 気にしすぎなのだろうか。
 火村が煙草に火をつける前に、私は手を差し出した。
「俺にも、一本くれるか?」
 火村は少し驚いたように片眉をあげつつも、私に向かって箱ごと煙草を放り投げてよこした。
 そこから一本を取り出す間に、火村はライターの火を私に差し出してくれた。
「サンキュ」
「珍しいな」
 私が煙草を欲しがった事を言っているのか。
 私もまったく吸わないわけではない。酒ではないがたしなみ程度には吸う。火村がヘビースモーカーなだけだ。
 火村もくわえていた煙草に火をつけようとしたところで、ライターの火が消えた。
 火村は眉をひそめながら何度かかちかちと試していたが、火はいっこうに付かない。ガスが切れたようだった。
「…ほれ」
 私の煙草を差し出してやる。私の煙草の先の火に、くわえた煙草を押しつけてふかしたあと、火村はにやりと笑った。
「あんまり気にしすぎると、ハゲるぞ」
 私は肩を落とした。
 慰めてくれているのかもしれないが、口が悪いったらない。
「君に言われたないわ。自由業の俺よりも日頃のストレスでキてるんやないか?」
「この精悍な体と顔のどこに老いが見えるんだ?」
「鏡見ろ、鏡。白髪の進行がこれ以上進まんよう、黙っとけ」
「日がな一日家んなかにこもって物書きなんざやってるお前こそ、骨の老化が進んでるんじゃないのか? 一度は検査してみたほうがいいぜ」
「お前ほど食生活が不規則やないからな。見てみぃ。俺と並んでりゃ、君の方が絶対年上に見られるやろうなぁ」
「…まんざいか、あんたら」
 声がして振り向くと、小夜子が呆れたような顔で私達を見ていた。
 いつから見られていたのか、くだらない所を見られてしまった。───と思っていると、小夜子は小さく笑った。
 私に向かって。
「あんたは、ほんまに自分を知らんのやなぁ」
 薔薇の花束を、最初に火村が店に入ってきたときにそうしたように、右手で肩に担ぐようにしてもち、左の手を腰にあてた。
「ちゃんと「見えて」る…いや、「見せて」るんや。私が言うまでもないわ。あんた、ほんとは幸せモンなんやないの? なんやの。何が「言えない」って? あほらし」
 私が曖昧に小さく笑って黙っていると、
「…なんの話ですか?」
 火村が言った。
 小夜子は私に向かって軽く片目をつぶって、ひらりと手を振った。
「秘密。───火村センセも、感謝せなあかんで」
 私と共謀する謎めいた小夜子の言葉のどれほどの事が、火村に分かっただろうか。
 そうして、小夜子は私から火村に視線を移した。
「今日はほんとに有り難うございました、火村センセ。わざわざ私のために来てもろて」
「いいえ。邪魔をしたのじゃなければ、幸いです」
「邪魔なことあらしませんよ。それに、この───年の数の薔薇」
 初めて、小夜子が薔薇の数のことを口にしたことに私は気づいた。
「この年にもなると、多少卑屈に、いやみか、と思いましたけどね、ほんまに嬉しかったですよ。これでほんまに口説いてくれてるんやったら、もっと嬉しかったんですけどねぇ」
「それは私が出る幕じゃありませんよ。───気づいてくれて、なによりです」
 なんと。
 火村はちゃんと足らなかった最後の一本を小夜子に渡していたというのか? いつの間に?
「火村センセがその気になったときが怖い気がするわ。女口説くなら、この手はええよなぁ。赤い薔薇だけでも結構な花言葉やなのに、最後の薔薇は本物じゃないだけ「想いは永遠に枯れない」なぁんて、言ってくれてるようで」
「ネタに使えますか」
「ええねぇ。もちろんその時は、花束持ってる男はちゃんとした服着せてやりますよ、私は」
「脚色はお好きに」
 火村は苦笑した。
 いつ火村が最後の一本を渡したのか分からなかった私は、随分と不思議そうな顔をしていたらしい。
 小夜子は種明かしとばかりに薔薇の花束を私に差し出した。
「こ・れ」
 小夜子は花束と一緒になったグリーティングカードを差した。
 開いてみろと促されて見ると、そこには一輪の花が咲いていた。
 ───赤い薔薇だった。

 『最後の一輪は、変わらぬ親愛を込めて』

 走り書きは、火村の字だ。
 足らない一本をどうするのか。「何とかする」と言っていた火村の、これが最後にとった趣向であることを私は知った。
「確かに、いただきましたよ、年の数の薔薇」
 小夜子はわずかに笑みを口元に残したまま言った。
「粋な趣向…と言いたいところだけど、単に足らんかったんやろ?」
「純粋な親愛の気持ちですよ」
 即答した火村の台詞に、小夜子は悪戯っぽく笑った。
「まあ、ええわ。そういうことにしとこか」
 小夜子は夜気に体を伸ばした。
「さて、私はそろそろ帰ろうかな」
「送りますよ」
 私が言うと、小夜子は、いや、と首を振った。花の香りを嗅ぐように花束を抱き、
「ここでええよ。今日は───いや、もう昨日か───楽しかった。この気分を家まで持って帰って寝ることにするわ。火村センセ」
 そうして、火村の肩をぽんとたたいた。
「あんたにそうやって煙草の火を貸してくれる友人を、なくしちゃあかんよ」
 ───背中ではなかったけれど、それが小夜子なりのけじめだったのかも知れない。
「じゃあね、お二人さん。また」
 小夜子は肩越しに振り返ってひらひらと手を振りながらそう言い、駅に向かって去っていった。

 その後ろ姿を見送っていた火村が、息を付いて天を仰いだ。
 月も星もぼんやりとしか見えない空を見て何を考えているのか、僅かにその顔に笑みが浮かんでいる。
「これからどうする?」
 火村が言った。
 時間も時間だ。別に家に帰って眠ってもかまわない。
 そう言っても良かったが、私は聞き返すことで火村の意見を促した。
「君は?」
「───飲みに行くか。つきあえよ、アリス。おごってやる」
 唐突な提案だった。
「おごる…て、あの薔薇のせいで懐が厳しいって言うてなかったか?」
「そういう心配は心の中でだけでしとけ。そうしたい気分なんだ。させとけよ」
 私は肩をすくめた。
「なんだかな…」
 小夜子も同じようにそうしたい気分なんだと言って譲らなかった。そしてその本当の理由は、ついに小夜子の口から語られることはなかった。
 でも、たぶん、その方が良かったのだ。今なら分かるような気がする。
「んじゃ、俺がおごってやる」
 火村が視線を私に戻した。
「今日は、俺がおごってやる。君は次回おごってくれればええ」
「珍しいことで」
「人のこと言えんのか?」
 苦笑する火村の肩をたたいて、私達はいまだ夜の明けぬ大阪の街に向かって歩き出した。


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