鍵───その、後始末。─── "key of recollection-Settlement"

Alice Arisugawa fan-fiction.
written by Kai shiinoya 99' Oct - 00'Jan.

 来訪者を受けたのは、その日の昼近くになった頃だった。
 ベルの音はともすれば掃除機の音とかけていた音楽とに消されがちで、気づいたのはしばらく鳴り続いた後だったろう。およそ客という客を迎え入れることのない日常が、こんなところでたたる。
 私はあわてて玄関に向かった。
 ドアの向こうに立っている人物を確かめて、私は驚いた。
「───片桐さん?」
 私の頭の中に締切の事がぐるぐるとまわった。
 いや、でも締切はまだ先のはずだ。だいたいにして、この間本も出したばかりで…。
 巡る思考を振り切ってドアを開けると、片桐は、私を見て一瞬きょとんと目を見開いた。
「有栖川さん?─── 何してるんですか」
 
 挨拶代わりの言葉にしては酷い言葉を受けて、私は苦笑した。
 片桐はまじまじと私を上から下まで眺め回し、肩を落とした。
「なんだ、もう。風邪で寝込んでるって聞いてたのに。元気そうじゃないですか」
 そう、私は二日前、不覚にも風邪でぶっ倒れてしまったのだ。
 幸いにして、運良く───相手にとっては不運だったろうが───友人が訪ねてきてくれていたので、事なきを得たのだが。
「昨日までは、死んでたんですけどね」
 それで今日はというと、朝、すっきりとした状態で起きることができ、その気分の良さを土台にして、掃除を始めていたのだ。
 私の出で立ちといえば、トレーナーとジーパンで肩にはタオルなんかかけての掃除ルックだ。とても風邪をひいてるような奴には見えないだろう。だから、片桐の挨拶代わりの言葉も理解できるのだ。責めることは出来ない。
 とはいえ、気分も体調はよくはなってはいるが、治りがけ、ということにはかわりはない。その痕跡に、片桐も気づいたようだ。
「まだ、鼻声ですね。だめですよ。ちゃんと寝てないと」
 立てた人差し指を振る片桐に、私はとりあえずうなずいてみせた。
「大丈夫ですよ。おかげさまでゆっくりと眠らせてもらいましたからね。まぁ、どうぞ。ごらんの通り掃除中で散らかってますけど」
 埃っぽい部屋の空気を入れ換えるために私は、リビングの窓に向かう。
「そういや、片桐さん。俺が風邪をひいてるなんて、どこで聞いたんですか?」
「火村さんですよ」
 …そういえば、私が風邪をひいて倒れたこと知るのは、ちょうど来てくれていた友人、火村しかいないではないか。愚問だった。
「昨日の十時頃だったかな。大学の方からだと思いますけど、会社の方に電話がかかってきて。「風邪で寝込んでるので、一応連絡しておきます」って」
 火村はあれからちゃんと大学に出たのか。
 あの後、目を覚ました時にはもう居なかったから、どうしたかと思っていたが。タフな奴だ。
 それにしても、片桐にまで連絡を取っておいてくれたとは。
 つくづく世話になってしまったことを実感する。
 片桐はソファに座って一息ついたように話し始めた。
「昨日は仕事から抜け出せなくて今日になっちゃいましたけど、ずっと気になってたんですよ。有栖川さん、一人暮らしだし、こうしてる間に病状が悪化してぶったおれていたらどうしよう。いや、もしかしたら、もう死んでいたりして、とか」
 縁起でもないことを言わないでくれ。
 コーヒーを入れながら、私は内心でそうつっこんだ。
「でも、元気そうで良かったです。僕もこれで安心して仕事できます」
 片桐はそう言って心底ほっとしたというように肩を上下させた。
「火村がちょうどうちに来てくれたおかげで、ちゃんと飯食って薬飲んで寝てましたよ。来てくれた火村には悪いコトしましたけど」
「聞きましたよー。行くことは話していたのに、いくらベルならしても名前を呼んでも鍵が開く気配がない。けれど中の電気は煌々とつき、音楽は流れている。マンションの管理人に事情を話して鍵をあけてもらうまで大変だったって」
 それは…かなり悪いことをしたものだ。当分の間、京都に向かって足を向けて寝ることは控えよう。
「中に入れば有栖川さんが倒れているし、でしょ。休むつもりでいったのにやぶ蛇だったって。まぁ、笑ってましたけどね。でも、火村さんに感謝しなくちゃだめですよ、ほんと」
「しばらくは頭あがりませんね」
 あの時、火村が来る予定になってなかったら、と考えると、つくづく我が身の幸運を感じずにはいられないのも確かだ。
 コーヒーを片桐に渡すと、それに返すように、
「あ。そうだ。これ、お見舞いです」
 と、片桐が紙袋を差し出した。
「お見舞いも薬も世間には多種多様に存在するけど、作家さんには、これが一番。効き目ばっちりですよ」
 にっこりと笑った。
 そう言うから、滋養強壮剤かなにかかと思ったら、全然違った。
 束、だ。
 と最初に見たときはそう思った。
 なにかと思った。よく見れば、束になった手紙が、さらにいくつかの分厚い束になって入っていた。
「あ…───」
 思い当たった。これは、つまり、ファンレターというやつだ。
「ね?」
 悪戯を仕掛けた子供のような片桐の笑みに、私も嬉しさのあまり思わず顔が緩んでしまう。
「これは、効くやろうなぁ」
「ほんとはまだあるんですけど、ちょっとかさばったんで。とりあえず持てるだけ持ってきたんです。これでも読んで、元気出してくれればいいなーと思って。それからですね。もちろん、ちゃんとしたお見舞いもその中に入ってますから、食べてみてください」
「へぇ?」
 あらためて袋を覗くと、底の方に小さな箱があるのが見えた。
「僕、実は京都からの帰りだったんですけどね。そこで、めちゃくちゃ美味い和菓子を見つけたんですよ。あ、これは、お土産とお見舞いにいいかも、と思って買ってきたんです」
「ありがたくいただきます」
「生菓子ですから、お早めに」
 それから片桐の京都談義をひとしきり聞いたあと、見舞いに来てくれたお礼に昼食を、と私は申し出たのだが、片桐はこれからまだ寄るところがあるとかで帰っていった。
 掃除の続きもほったらかしに、私はファンレターを読み始めていた。
 出たばかりの本の話はまだされてはいないが、それでも、本の感想を書いてくれている手紙を見ると、嬉しくてつい顔が揺るんでしまう。
 確かに、これはすばらしい薬だ。
 気分もよければ、体調だってどんどん良くなっていくような気がする。
 電話が鳴ったのは、十は手紙を読んだあとだったろう。
 私は未練がましく手紙を手に持ったまま、電話を取った。
「もしもし?」
「───なんだ。起きてるとは思わなかったな」
 火村だった。
 片桐もそうだったが、どうも今日は挨拶代わりにしては酷い言葉をはかれてる気がする。
「ご挨拶やなぁ」
「てっきり寝てるかと思ったんだが」
 コポコポという音が、向こうから聞こえてくる。おそらくコーヒーサーバからカップに注ぐ音だろう。
 カップとスプーンの触れる音。
「起きてる、ということは、もう具合はいいのか?」
「おかげさんで。だいぶ体調はええよ。良すぎて、みんなに感謝のキスを送りたいくらいや」
 一瞬の沈黙。
「…まだ熱があるんじゃねぇのか? なに浮かれてるんだ」
「そうか?」
「自覚がないのか。医者いけ」
「すまんすまん。自覚はあるんや、だいじょうぶやて」
 私は笑って、片桐が先ほど来て、ファンレターを置いていってくれたことを話してやった。
「ははぁ。それで有栖川先生は「寝てはおれん、がんばらな」と奮起した訳か」
 皮肉気な火村の台詞も、今日の私はとても気分がいいので許してやる。
「羨ましいなら羨ましいと言え」
 コーヒーをすする音がして、火村は言った。
「納得してるのさ。いつでも人を救うのは、自分を求める誰かの声だ。───違うか?」
 その言葉に、私は───火村に見えないことを感謝しつつ───微笑んだ。
 こいつは時々、人がはっとするようなことを言う。
「そうやな」
 私の元に届いた、このファンレターもそのうちの一つ。
 それに、泥に埋もれていくような苦しい眠りから自分の意識が戻ったのは、他でもない、火村が私の名を呼んでくれたからだ。そうして引き上げられることもなかったら、私はきっと、あのまま沈んでいた。暗い場所へ。
 それを思い出して、あらためて、火村に感謝したくなった。
「君、片桐さんにも連絡してくれてたんやな」
「一応な。誰かが知ってたほうがいいと思ったし」
「聞いた。色々大変やったみたいやな。ほんま、感謝する」
 火村は笑ったようだ。
「キスはいらんぞ」 
「安心せぇ。野郎のキスよりも、いいものがある。片桐さんから見舞いをもらってな。なんやそれが滅茶苦茶美味かったとかで…」
 言いながら、私はファンレターの奥から箱をとりだし、その包装紙をあらためて見て、絶句した。
「…アリス?」
 黙ってしまった私に、火村の怪訝そうな声。
 私は電話を持ち直した。
「…火村」
「なんだ」
「『白露茶屋』や」
 今度は火村の方が絶句した。
 そりゃそうだろう。白露茶屋は、京都の隠れた名店。しかもだ。
「…まさか、『白露』か?」
「その、まさかや」
 『白露』といえば、朝からならんでたって買えないことがあるという名品中の名品の和菓子だ。
 半透明のドーム型、てっぺんに木の葉型の小さな餡がのり、そのドームの中は蜜のような餡が浮いている。見た目も和菓子としてすばらしいが、この和菓子の特筆すべきは、味もさることながらその食感なのだ。
 今までにない食感として各批評家に絶賛され、されたが故に、全て手作りという条件も重なって手に入れることが出来たら奇跡に近く、私もいまだ一度しか食べた事がない。
 だが、それの虜になるのは、その一度で十分だった。
 それほどの和の極みともいうべき菓子なのだ。
 それが、なんと、私の手の中にある。しかも、白露の六つ詰めの箱だ。
 ───片桐。お前の強運にはおそれいる。
「片桐氏に、感謝のキスを」
 火村が言った。
「まさしくや」
 同感する。男二人からキスをもらったところで、片桐が喜ぶとは思えないが。
「火村、午後も講義か?」
「ああ。でもそんなもん、どうにでもなる。アリス、おまえ独り占めするんじゃねぇぞ」
 私もそうだが、火村もまた「白露」の魅力を知る一人だ。
「安心せぇって言うたやろ。ちゃんととっとく。俺の君に対する感謝の証や。終わるころに迎えにいってやろうか?」
「病み上がりの奴を走らせるほど俺はばかじゃねぇよ。俺が行く」
 日持ちのしない『白露』だからこそ、こんな急な話にはなるのだが。
「分かった、茶ぁ沸かして待ってるよ。気ぃつけてな。『白露』に気をとられて事故んなよ」
「ああ。じゃあな」
 電話が切られた。
 おそらく、火村先生の午後の講義はこれまでにない短さで切り上げられるのだろう。
 あな恐ろしや、「白露茶屋」。
 午後の火村の講義を受けた生徒達は、気もそぞろな火村の授業に眉を寄せるかも知れない。
 そう考えて、私は少しだけおかしかった。
 残りのファンレターは、夜寝るときにでも読ませてもらうことにして、部屋の掃除をさっさと済ませてしまおう。
 折角の白露茶屋の名品だ。気持ちのいい状況で食べたいものだ。
 あまり中身のない冷蔵庫の中を整理して、白露を置く。
 時絵ばあちゃんにも渡せるようにちゃんとわけておいて、私は冷蔵庫の扉を閉めた。

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