14年目のサボタージュ "Sabotage"

Alice Arisugawa fan-fiction.
written by Kai shiinoya 99' Oct.

 それを見つけることが出来たのは、ほんの偶然に過ぎなかった。
 自分が類い希なる視力を誇ってるから見つけることが出来た、などという訳でもない。
 普段歩いてる所からは明らかに死角にある場所であったので、手に持っていたレポート用紙が風に吹き飛ばされてしまった、今のこのような状況でもなければ、そこに足を踏み入れることもなかったからだ。
 鬱蒼とした緑の中にレースのような白い花。それが風に揺れている。
 漂ってくるやわらかな香りは、あれから流れてきているに違いない。
 見慣れない、侵し難き禁断の領域にでも踏み込んでしまったような緊張感に、きびすを返そうとしたその時、その白い花の向こうに誰かがいることに気づいた。
 こちら側からは足だけしか見えなかったが、誰かが寝ている。
 先ほどの後ろめたさもどこへやら、好奇心がわき上がった。
 ふと思い出したのは、
「桜の木の下には死体が埋まっていて───」
 などという、オカルトめいたフレーズ。
 見えている花の色は桜でもなんでもなく、ただの白い花なのだが。まるで、向こうに眠っている誰かを隠すように揺れているので、妙に引き寄せられてしまった。
 そろそろと近寄っていく。
 白い花のつると葉っぱが結構ボリュームがあって横に長く伸びているので、それを迂回して。
 花の向こうに出れば、さっきの位置から見るほどの暗さはなく、結構明るかった。
 どころか、なんとも気持ちのいい光に溢れている。植え込みが防風の役割りをしているのか、ここではそれほど強い風を感じない。
 この大学にこんな所があったとは驚きだ。
 英都大学に入って3年目になるが、結構知らないところがあるものだ、と妙に感動してしまう。
 白い花の向こうは、今度は鈴なりの黄色い花だ。先ほどの白い花と緑の鮮やかさも目を引いたが、こちらのコントラストも凄い。
 その下に眠っている足の主はぴくりとも動かない。
 改めてその顔を見て、ぎょっとした。
 別にその人物が、血みどろの死体だったとか、そういう訳ではない。
 ただ、あまりにも意外だったからだ。
「───火村先生?」
 小声で呟く。犯罪社会学の講義をしている助教授だ。
 この先生の講義はなかなか興味深くて、許す限りの講義は受けているから、見間違える訳がない。
 藤に似た黄色の花の下、芝生の上に自分のジャケットを無造作に敷いて、その上に、組んだ手を枕にして寝ころんでいる。
 呼吸をしているのは分かるから寝ているだけで死んではいないのだが、珍しくて思わずまじまじと覗きこんでいると、突然、その瞳が開いた。
 こっちは心臓が踊り出すかと思うほどにびっくりしたのに対して、先生は別段驚いた風もなくこちらを半眼で見ている。
 その視線の冷ややかさは、明らかに自分が喜ばれていない闖入者であることを告げていた。
 踊る心臓を抑えつけて、
「すいません。お休みのところ…邪魔したみたいで」
 申し訳ない気持ちでそう言うと、
「…別に、かまわないがな」
 先生は伸びをして体を起こした。
 はらはらと落ちるのは黄色の花びらだ。風に落ちたのだろう。
「お前、どうしてここが分かった?」
 立てた片膝に腕をかけ、自分を見上げてくる先生に、手に持っていたレポート用紙を見せてやる。
「これが風に飛ばされたおかげです」
 先生はやれやれと言うように髪を掻き上げた。
「まったく、余計なことをしてくれる風だな」
 苦笑してみせる、その姿は、そうしてる分には犯罪学者にはとても見えない。
「うるさい教授連から逃げるための場所が一つ、見つかってしまったじゃないか」
「先生でもエスケープしたりするんですね。いつもここに?」
「天気のいい日はな」
 なるほど、今日は外で寝ているのも気持ちのいい日かもしれない。風は少し強いが、あたりの植え込みが、ここを守ってくれている。
 ぐるりとあたりを見渡して、
「いい場所ですね、ここ。渡り廊下からは死角になってるし、あの植え込みや木のおかげで、向こうからは鬱蒼として見えるから誰も近づかないだろうし。あの花も、それの役割してるかな。あの花、なんて言うんですか?」
 まるでここを囲うように咲いていた、白い花。
「ポリゴナム オーベルティー…だったかな」
 先生は思い出そうと考え込むように、曲げた指を唇に当てた。
「昔は誰かちゃんと手入れをしていたんだろうが、今は風に吹かれ雨に濡れるままだ。それでも、毎年咲いてるな」
「よく、こんな場所見つけましたね」
 先生は立てた人差し指をこちらに向けた。
「お前、3年だろ?」
「はい」
「ここは俺の母校で、現在、俺はここの助教授だぞ。年季が違う」
 若くして助教授になったという先生は確か30代も中頃のはず。10何年のキャリアのエスケープだ。
 納得する。
 もっとも、それが尊敬できることか、というとちょっと考えものだが。
「ふぅん。それだけ年季の入った隠れ場所か。いい場所見つけたなぁ」
 今日自分の身に起きたようなことが、他の誰かに起きない限り、当分見つかりそうもない場所だ。ここは自分にとってもいい場所になりそうだ。
「たまに、使わせてもらってもいいですか? ここ」
「好きにしろ。ただし、俺の講義の時間以外でな」
「はいはい。そのかわり、先生がここでサボっていたことは言いませんから」
「殊勝な心がけだ。その言葉、忘れるなよ」
「もちろんです。神に誓って」
 最後の言葉はおどけのつもりだったが、先生は皮肉気に口の端を上げた。
「神は信用ならないから他のものにしろ」
 変なことを言う。
「はぁ。…じゃあ、生んでくれた両親に誓って」
 言い直すと、先生はちょっと驚いたように片眉をあげ、笑った。
「素直な生徒を持って、俺は幸せだよ」
 先生は頭や体についた花びらを払いながら立ち上がった。ジャケットを拾い上げ、ばさりと一振り芝生の葉を落とすと、
「この場所はお前にくれてやる。せいぜい活用するといい」
 それを肩にひっかけながら、そう言った。
「いいんですか? そうやって生徒にエスケープを促したりして」
「ここをどう使うかは、使用者の勝手だ。俺の知るところじゃないな」
 手慣れた仕草で煙草をくわえて、火をつける。
「でも、ここは先生の場所だったのに?」
 先生は煙草をくわえたままにやりと笑った。
「ここばかりが俺の場所じゃないさ。14年のサボタージュはだてじゃない」
 14年もサボタージュしてたら、今頃助教授になどなってないだろうに。
 謙遜なのか自慢なのか分からない台詞を吐いた先生は、まだ若い割には白髪の目立つ髪を微風になびかせて、ひらと手を振った。
「じゃあな」
 そうして、あの白い花の向こうに消えていった。
 先生じゃなくてもサボって昼寝をしたいような陽気の中、白い花と黄色い花が風に揺れている。ああ、そういえば、こっちの黄色い花の名前を聞くのを忘れていた。
 白い花もこの黄色い花も、どこかのガーデニング好きにはたまらなそうな趣きだ。 光を浴びて鮮やかな色たち。今日は、本当にいい天気だ。
 先生がそこでそうしていたように、横に寝転がってみる。
 芝生の匂いが心地よい。
 このまま寝てしまおうか、という誘惑に駆られたが、そういえば今日は午後から先生の講義があったはずだ。 両親に誓って約束したからには、行かない訳にはいかない。
 目を開けてぼんやりと頭上の黄色い花と、その向こうの空とを眺める。
 自主休講を企む生徒にとって見れば、この上なく魅力的な場所をもらってしまったものだ。
 もったいないと思ってはいなさそうだっただから、先生はきっと他にもいい場所を知っているのだろう。
 おそらくもう二度と───少なくとも自分がいる限りは───ここへ来ることはない。
 ふと、そう思った。
 くれてやる、と言ったその言葉のせいか、それとも、ここへ足を踏み入れてしまった自分へ向けられていた、あの視線の厳しさのせいか。
 何を理由にしてそう思ったかは分からない。確信めいたその考えに、ちょっとだけ残念に思った。
 自分でも知らないうちに、結構あの先生が気に入っていたのかもしれない。
 …やめておこう。事象全てに意味をなすりつけるのは、精神衛生上よくない。
 この場所にしてみても、14年目のエスケープ先が自分の1年目のエスカープ先に代わっただけの話。そんな日常に過ぎないのだ。それでいいではないか。
「…さて」
 眠らないうちにこの気持ちのいい場所から立ち去ろう。
 そうだ。もっと前向きに考え直してみれば、これは随分とすごいことだ。
 あの先生からこんないい場所をもらった自分というのは、すばらしく幸運だったのではないか?
 望めばいくらでも来れる場所だ。この場所を譲り受けた、それは自分の特権。
 起きあがり、両腕を上げて伸びをする。
 今日は早めに昼食を取っておこう。
 誘惑の大きい秘密の場所をくれた、火村先生の講義が待っている。

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