
穏やかな不可侵 【 後編 】
"Nonaggression"
Alice Arisugawa fan-fiction.
written by Kai shiinoya 99' Oct.
私は、ふむ、と火村の真似のように唇に人差し指を当てた。
「じゃあ、今度は三人で行ってみますか?」
「…三人?」
火村が怪訝そうに眉を寄せている。
お前、いまだ頭が寝てるのか? 鈍いじゃないか。
「俺とお前と時絵婆ちゃんで」
「まぁ」
婆ちゃんが驚いたように口に手を当てた。
「婆ちゃんには俺もお前もずいぶん世話になってるし、旅行くらい連れていってもええやんか」
「…ふぅん」
火村は、本家の癖を見せた。
「考えんなよ。いい話やろ?」
「…そんなに暇なのか? 先生」
いちいち可愛くないことを言うな。
「小説はな、どこでだって書こうと思えば書けるわ。それが出来るのが自由業やからな」
「まぁ、無理せんと」
婆ちゃんが言う。
「いや」
火村が呟く。
その瞳に僅かながら生気が宿った。不謹慎かも知れないが、私はわくわくしながらそれを見ていた。
火村が乗り気だ。
「10月の…中頃にはあらかた片づけてやる。アリス、お前は?」
「お前に合わしてやろうやないか」
「ばあちゃん、これからの予定は?」
「10日に寄り合いがあるけど、その他には別になんも…」
「今年は色付きが遅れてるゆう話やったから、そのあたりは見頃かもしれんな」
決断に拍車をかけるように言ってやると、
「じゃあ、決まりだ」
火村はカレンダーを見ながら言った。
「20日から、行こう」
2週間強。決めるはいいが、私の取材旅行同様、かなりの強行軍じゃないか。
「アリス、頼めるか?」
私はうなずいた。強行軍だろうが、私もやる気なのだ。
「まかせとけ。時絵婆ちゃんと紅葉狩りツアーやな」
婆ちゃんはおろおろとしている。
「そんな、また急にせんでも…」
「こういう風にのせてやらないと、こいつは動かないんですよ」
火村の代わりに私が言ってやる。
「寒くなる前に行って旨いものでも食べましょう。あ、寒くても別にいいか。温泉も向こうはいっぱいあるし。行ったばかりだから、俺もいろいろ案内できますしね」
婆ちゃんは首を傾げて言った。
「まぁ…じゃあ、着ていく服でも買いに行きますかねぇ。いい男二人もつれて行くんやから、変なかっこしていけんわ」
「大丈夫。きっと誰よりこいつの方が変な服やから」
火村を指さして言うと、火村は嫌そうに眉を寄せた。
「適当なことを言うな」
婆ちゃんは口元に手を当てて笑った。
「ほんまに、あんたらは…飽きひんなぁ」
火村は肩をすくめて、疲れたように後ろ手に体を支え、天を仰いだ。
まだ湿っている髪をばさりと垂れさせ、そのままじっと、天井の節目でも数えてるようにそこを見据える。
その横顔の凛とした厳しさが、ふと、崩れた。
明らかに。まるで───花がほころぶように。
あまりにも珍しい表情に、私は思わず見入った。
火村は目を伏せて、そのままゆっくりと後ろにと倒れ込んだ。
「火村?」
火村が足を延ばしたせいで、足の上にいたうりがびっくりしたようにそこから飛び降りた。
「そうと決まったら、本腰いれんとな」
眠そうな声で、ぼんやりと呟く。
その声はまさしくいつもの彼の声なのだが。何故だろうか、私は落ち着かない気分になっていた。なにか間違ったことをしているような気分、とでも言おうか。
自分のこの感覚を不思議に思いながら、私は、寝ころんだ彼の顔を覗き込むようにして言ってやった。
「なんにせよ、お前次第やからな。頑張れよ、先生」
「あんまり俺を追いつめないでくれ」
苦笑する彼の表情のおだやかなこと。
驚いたが、それを言葉にすることは、はばかれた。
なにか、口にしてもいいことではないような気がしたのだ。
猫達の前では相好を崩す彼だが、それ以外にこんな風に穏やかな笑みを浮かべた事はあっただろうか。見てはいけないものを見てしまった気さえする。なぜこんなに後ろめたく感じてしまうのだろう?
うりが火村の顔あたりにすり寄っていく。
火村は、ふっと細めた目でうりを確認すると、
「お前も応援してくれよ」
そう言ってうりに笑いかけ、すぅっと目を閉じた。
「…火村?」
声をかけても返事は返ってこなかった。しばらくして、規則正しい寝息が聞こえてきた。
眠ってしまったのか。
小声で婆ちゃんが言った。
「疲れとんのやね」
「ええ」
ふたりして、火村の寝顔を見ながら呟く。
うりは火村の肩により掛かるようにして丸くなった。
「なんや、悪いコトしたなぁ…」
婆ちゃんが申し訳なさそうに言ったので、私は安心させてあげるために笑った。
「大丈夫ですよ。火村もこういう機会を持ちたかったに違いないですから」
「そうやろか」
「もちろん。14年、こいつの友人をやっていた俺が保証します。だから、後は俺に任せて」
そう、14年、友人でいたつもりだが、彼のあの表情を見たのは、どうだろう。
初めてだっただろうか。それとも?
考え込んでいる所へ、小次郎がやってきた。
私にむかって挨拶のように一声鳴いて、ゆっくりと火村のところによって来る。
「コオちゃん。邪魔しちゃあかんよ」
コオは甘えるように喉をぐるぐる鳴らして火村を見ていたが、やがて私の方にやってきた。
よっぽど寂しがってるようだ。つくづく火村も罪な奴だ。
コオの頭を撫でながら、火村の寝顔を見ていると、
「有栖川さん、今日はいそがしいんか? 夕飯、一緒にどうどす?」
婆ちゃんが言った。
本当はお土産を置いてすぐに帰るつもりだったのだが、隣で寝ている友人のことを考えて思い直した。
「すいません。じゃあ、遠慮なく。このままこいつが起きなかったら、たたき起こして上に連れてかなきゃならないでしょうし」
婆ちゃんは笑った。
「そうそう。それをお願いしとうて。さすがに私じゃあ連れてくことはできひんから」
婆ちゃんはよいしょ、と立ち上がった。
コオがぴくりと反応して、婆ちゃんの後をついていく。
「なんや、お腹すいとんのか? コオ」
目を細めて、婆ちゃんが楽しそうに言う。相も変わらず猫溺愛の家主と店子の二人を見ているのは、私も楽しい。
婆ちゃんはタオルケットを持ってやってきた。
自分の腕を腕枕に寝ている火村にそれをかけてやり、ぽんぽんと肩を叩くと、夕飯の支度のためだろう、台所の方にいってしまった。
火村は眠っている。
規則正しく繰り返される寝息は、彼が安らかに眠っている証拠だ。
日頃、精神を削るような厳しい「犯罪」という事象に向かい合っている彼の安らぎが、ここにあるのだ。
「───…そうか」
我知らず呟いていた。
私は、火村が火村に戻る一場面を見たのではないのか。
おそらく人が、自分と外界に無意識のうちに引く一線。
もしかしたら、私はその一線の内側をのぞいて見てしまったのかもしれない。
いくら私達が「友人」であっても、彼がそうだと肯定してくれていても、彼が守るべき不可侵の場所がある。その場所に、私は自分でも気づかないうちに土足で入り込んでしまったように思えたのだ。
だから、妙に後ろめたい感じがしたのではないか?
「…でもまぁ…」
私はこっそりつぶやく。
そうやって、穏やかな表情を見せてくれれば、安心する。
彼に常につきまとう暗い影は、そんな彼に興味を持たずにいられないでいる私をも不安にさせるから。
暗い影を否定するのが言葉ではなくその穏やかな笑みだとするなら、見せていて欲しいのだ。───自分はまだこの場所にいる、と。
「…無理か」
私は苦笑した。
彼がいつも見せる笑顔というのは、およそ褒められたものではないことを思い出したからだ。
だからこそ、その穏やかな笑みが、ひどく珍しく感じたわけだから。
私の足の上で桃が身じろぎした。
「お、桃。行くのか?」
桃は一つ伸びをして大きくあくびをすると、未練のひとつも見せずにそこから飛び降り、火村の腕枕をしていない投げ出されたもう一方の腕にすり寄っていった。
火村の胸の中に収まり、丸くなる。
私は自由になった足を崩し、立てた片足を抱えて小さく笑った。
「喜べ、火村。やはり桃はお前のそばがいいんだとさ」
2匹の猫と眠る助教授。
この穏やかな時間が、長く続けばいい。
───それに、私にできることといったら?
私は猫さながらに、両手を組んで伸びをした。
もちろん、彼の期待に答えるべく、2週間後の旅行の計画を考えなければ。
それのために、この友人は身を粉にして頑張るのだろうから。
なら、安心して粉になってもらうために、私も頑張ろうじゃないか。───不謹慎な表現か?
彼が彼であるために必要な、その穏やかな時間の僅かな手伝いになれればいい。
そうして、また彼があの笑みを浮かべてくれれば、最高ではないか?
およそフィールドワークの現場で助手としてでも役に立たない私だ。せめて、私が出来ることをしてやろう。
確か、ガイドブックが、この間の旅行の時に鞄のなかにつっこんだままだったはずだ。
夕飯が出来るまで───彼が起きるまでの間、それを眺めて考えることにしよう。