
領 域
"such a precious place"
Alice Arisugawa fan-fiction.
written byKai Shiinoya 99' Oct.
朝とも夜とも言えない薄墨を流し込んだような闇、回転する赤いランプと突き刺すようなオレンジの灯りの中、両腕をしっかりと押さえられ、引きずられるように連れて行かれる一人の男を、私は見ていた。
隣には、私の友人にして希有な犯罪学者───火村がいる。
いつもならこんな最終的な局面を見もせずに帰る私達だが、今日は違った。
火村が、じっと男の行く末を見るようにそこを動かなかったからだ。
男がパトカーの中に消えていこうとしている。
その刹那。
その男が振り向いた。
片足をパトカーにつっこんだまま、頭だけがこちらを見ている。
そのまま、にやりと笑った。
「───残念だよ、センセ」
下卑た、としか言いようがない笑みに、私は不快感を覚えた。
何を言うつもりだ、と思った。
───今にして、思う。
そう思った時、私は男の口を塞ぐか、その場から火村を連れ出すべきだった。
そう、それよりも。
もとより、そこにいるべきじゃなかった。
「やっと、仲間を見つけたと思ったのに。───分かるだろ?センセ」
パトカーの中に入れようとする警察官がぐいと男の腕を引っ張った。それを男は力一杯拒否をしてそこに留まった。
「俺とあんたは同じ匂いがするんだ。あんただって、俺の足跡を追っていく度に感じていたはずだよ。分かるんだよ、俺にも。俺とアンタは似たもの同志だ。
…知ってるだろう? あの熱。感情の高揚。震えるほどの安堵。絶望───」
警察官に体を押し込まれたためにそこで止まった男の声を継いだのは、火村の声だった。
「───憎悪。…歓喜」
私ははっとして火村を見た。
唇の端をあげた、あの皮肉気な笑み。まっすぐに向けられた火村の視線の先で、男はその声が聞こえたのか。
目を細めて嬉しそうに笑った。
「───待ってるよ、センセ。───こちら側の領域で」
男の姿がパトカーの中に消え、赤いランプが都会の森の中に紛れていくのを、火村はそれが完全に視界から消滅するまで見ていた。
───いや、おそらく、見ていたものはそんな風景ではなかっただろう。
ただひたすら、巡る思考の渦の中にあったのだと思う。
視線すらもぴくりとも動かない。声をかけることも躊躇われた。
ふと、瞬きをし、視線がずれる。
思考を止めたのだと、分かった。
「帰るぞ」
独り言のようにそう言い、火村は私に振り返った。
そうして私の顔を見た火村は、一瞬驚いたように目を見開き、その後、からかうようににやりと笑った。
「なんて顔で俺を見てるんだ? アリス。───正直者」
言われて私は思わず両手で自分の頬を押さえてしまった。
その私の行動がおかしかったのか、火村は喉の奥で笑って、ひらと手を振った。
「隠れてねーよ」
「…なんや」
「怒るなよ、褒めてるんだ」
どこが褒め言葉なのか。
火村はあくびをかみ殺しながらポケットからキャメルを取り出した。
「さすがに眠いな。今何時だ」
私は腕時計をのぞき込みながら答えた。
「4時半や。…もうこんな時間か」
当然朝の4時半である。
白々と明けていく都会の朝だ。冷えた空気が、僅かながら暖かみを帯びてくる、朝。
「講義に間に合わんのやないか? 先生」
「んなもの、どこかの犬にでも喰わせてしまえ。俺の貴重な睡眠時間を奪う奴は敵だ」
どうやら相当に眠いらしい。
私はほっと息をついた。───安堵感が多分に含まれた、ため息だった。
「ここからだったら俺のうちに一度寄っていけるやろ。ひと寝していけ」
「もとよりそのつもりだ」
「…さいで」
くわえたタバコに火をつけて、火村は明るくなってきた空をながめた。
「晴れそうだな」
ぽつりと呟く。
「そうやな」
相槌を打ってやると、火村は私を見た。
「アリス」
「なんや」
「お前、分かり易すぎるぞ」
そう言って、火村は笑った。どこか自嘲的な笑いだった。
私の心臓が大きく鳴った。
「…何のことや」
内心の動揺を隠すようにぶっきらぼうに答えると、火村はなおさらにいい募ってくる。
「自覚ない訳じゃないだろうが」
「分からんな」
「強情っぱり」
「火村」
私は不機嫌も露わに眉を寄せて彼の名を呼んだ。
不可思議な───それでいて、人を不安にさせる台詞を私に向ける火村は、相変わらず小さな笑いを顔に張り付けたままだ。
「悪い」
「あやまるな。謝ってる意味が分からんわ」
私は苦々しい思いで髪を掻き上げた。
───違う。解っている。
解っていた。
あの時。
あの忌々しい男が忌々しい言葉を吐いたあの時。
違う。それ以前に、男が捕まったあの時点で、私達は───火村はすぐに立ち去ってしまっても良かった。
そうしなかった意味を、私は考えることが怖かった。
そう、怖かったのだ。あの男の言葉を継ぐことが出来た火村が。───その意味が。
「…今更変えられんさ」
火村はキャメルの煙をくゆらせながら言う。
「一度でも宙をかき抱く息苦しさを持って、人を「殺したい」と切実に望んだ。その感情の強さを知った。今のこの俺を形成するには、それもまた必要なものなんだ。それを捨てることは、今更出きることじゃない」
それでも、私は聞きたくは無かった。
───向こう側の領域に何があるというのか。
どうしてそんなに執着してしまうのか。
「アリス」
火村は私の言葉には応えなかった。
「お前はそこにいろ。解らなくていい。解らないままでいい」
私は顔を上げて火村を見た。
理解したいということを全否定されたも同然の言葉をかけられて、悔しさと怒りが同時にわき上がった。
「アリス」
叫びそうになった私の口をふさぐように、火村は私の名を呼んだ。
「知らないお前でいてくれ。お前が俺を見るその視線の強さが、そのまま、俺がこの俺であり続ける強さだ」
何の意味もない言葉だと思った。
同時に、なんて傲慢で卑怯な言葉だとも思った。
深入りするな。お前には関係ないと拒絶しておいて、つなぎ止める楔を打とうとしている。
我が儘だ。
だが───きっと私も同じだ。
知りたい、と、思う。知りたいと思うから、あの男が火村と同類だといったことが忌々しかった。だが、違うと否定できるのは私ではない。知りたいと思いながら、私は知ることを恐れている。それを知ったら、私という自我が他のものに変わっていきそうで。
「───そのかわり、肯定もしない。…俺もまだ、答えを見つけちゃいないんだ」
私は反射的に答えた。
「なら永遠に見つからないままでかまわない」
火村は目を見開いた。
私も、自分で意味のある言葉を言った気分になれなかった。
なんだかばかばかしくなって私は自分に舌打ちしたくなった。
「お前は…、ほんとに…、まったく」
火村はまとまりのない髪を掻き上げて笑った。先刻見せたような自嘲的な笑いではない、いくらか優しさが交じった笑いだと思ったのは、私の気のせいだろうか。
「貴重な奴だよ。俺にはもったいないほど、貴重だ」
さっきから謎かけのような言葉ばかり吐く火村だ。
「なんや、それ」
「言っただろう? 正直者」
何が楽しいのか、火村はにやにやと笑っている。
いっそ不気味だ。
「なんや」
「いいんだ。お前はお前でいろ」
訳の分からない台詞をぽんぽん放り投げて、火村は歩き出した。
「おい、火村」
火村は両手をあげてのびをしている。
「今日はほんとに晴れそうだな。アリス、ひと寝したらお前の青い鳥でちょっと出てみないか?」
「本気でさぼりか、不良助教授」
「人聞きの悪い。疲弊した情意機能と安定時の情意機能の変動の差異、それの与えうる状況の実践的研究のための休講だ」
「ものは言いようやな」
疲れてるんだから休ませろ、というだけの話だ。
私はため息をつきつつも、それを止めようとは思わなかった。
疲れているのは私も同様だったし(だいたい朝の4時半だ)、あの忌々しい男のことを今すぐに記憶から消し去りたかった。
それには、私は確かめなければならない。
それこそ、研究さながらに、火村という男を対象として。
一度激しい感情を生み出しながら、それでも踏みとどまったその精神は、どれほどに強いものなのか。
領域を飛び立った男よ。
お前の元に、私の友人をいかせる訳にはいかない。
火村がお前と違う場所にいるということを、私が証明してやる。
お前はそこで永遠に待っていろ。